命の話をすることが多くなったことで常に考えるようになったこと

こんにちは、じゅんぞうです。

私はまだ30代ですが、年上の方と一緒にいることが多いせいか、命の話をよくします。

誰が亡くなった、誰の親が亡くなったなど、病気になったということをすっ飛ばしていきなり死の話です。

一緒にいる70代以上の方は、「あいつも逝ったか・・・」なんて話していますが、悪い言い方をすれば死に慣れているような話し方。

もう大事な人をたくさん失った経験があるのでしょう。

私はまだ慣れていない、というより慣れたくもないですが、やはり人の死の話はかなり精神的にこたえます。

死に際はどういう気持ちなんだろう、死んだらどこへ行くんだろう。

自分の大切な人が亡くなったらどうやって自分を保てばいいのだろう。

いろいろなことを考えてしまいます。

とは言え、いつも思うのは、「今を一生懸命生きよう」ということ。

そして、これだけは絶対に実現しなくてはいけないということが3つ。

1つめ、「最後は自宅で死にたい」というわがままを言わない。

2つめ、病気になったり認知症になったりしたら、有料の施設に躊躇なく入れるくらいの財力を確保しておく。

3つめ、遺族が困らないように、財産、友人関係、希望の葬儀等をまとめておく。

1つめと3つめはあまり努力せずにも実現できるでしょうが、2つめは今のうちに努力しておかないといけません。

5000万くらいはないと、不測の事態には対応できないでしょう。

そう考えると、遊んでいる余裕はない、と思いませんか?

これだけのお金を貯められず、施設には入れないということになると、家族に迷惑をかける。

そして、それは自分が若いときに無計画にお金を使い、まともに稼げなかったせいなのです。

それは絶対に避けたい。

自分が家族を不幸にするなんて、最悪の命の落とし方ではありませんか?

ということで、今私ができることは努力すること。

歯を食いしばって稼ぐこと。

何かを批判するのは、自分が稼げるようになってからです。

まだお金は足りないので、まだまだ私は成長します。

成長して稼ぎます。