おはようございます、じゅんぞうです。
「努力は必要ない」あなたはこういう意見を聞いたことがありますか?
私は、いろいろな本を読んだり、いろいろな人と話をする機会があるので、この意見は何度も耳にしたことがあります。
「努力は必要ない」と主張する方が、どういった理由でこう主張しているのかというのは、ここで話すと一週間ぐらいかかってしまうので説明しません(気になる方はググってください)。
本当にざっくり言うと、「運命」「神様」「未来」「外的要因」など、いろいろな切り口があるのですが、私が気になっているのはこれ。
「努力しなくても成功すると勘違いしている人がいる」。
私自身、努力が不要だという論理について詳しいわけでもないですし、努力が不要だということについて明確な意見を持っているわけでもありません。
ただ、努力が不要だと主張してくる方(にわか実践者というか、ただ1冊本を読んだだけの方)の中には、「絶対この人ちゃんと学んでないな」という方がいらっしゃいます。
「努力しなくても、自分がそう思っていればいつかかなう」
「すべては自分のとらえ方次第だ」
などと、努力をすることが全く意味がない、もしくは悪である、と考える方に出会うことがあるのです。
私の塾で学んでいらっしゃる方は、絶対そんな意見にはならないと思いますが…
はっきり申し上げます。
努力は必要ですよ!
努力が不要だと言っている方は、何らかのベースがあるからそう言えるのです。
そういう方がおっしゃっているのは、
「努力をすれば報われる」
「努力はどんな才能にも勝る」
言ってしまえば「努力至上主義」に対する警鐘という意味なのではないかと思います。
仮に今までまるで学んできたこともなく、自分の意志で動いたこともなく、体力も、知識も、知恵も、興味も、趣味も、とにかく何もない人がいたとしたら…
努力しないで何ができるんですか?
腕立て伏せができない人が、腕立て伏せをできるようになるためには、筋力をつけるために努力をする。
それしかないでしょう。
努力が不要である、という意見を耳にして、「あ、自分は何もしなくていい!」と、ただ逃げている人が多いと思います。
私が尊敬しているある方は、「努力が不要」という趣旨の本を読んで感銘を受けたとおっしゃっていました。
私はその方の意見を聞いて、「確かに、努力ばかりがすべてではないだろうな」と感じましたが、そう思ったのには理由があります。
それは、その方が人一倍努力をしてこられたから、「努力が不要」という結論に今達したのだろうな、と思ったからです。
努力が不要だ、と本気で思えるためには、本気で努力をした経験がないといけないのです。
あなたがもし、万が一、努力もしないで「努力は不要だ!」と主張されていたとしたら。
その考え方は本当に危険です。
思いっきり、血のにじむような努力をしてみて、それからもう一度、努力の意義について考えてみてください。